●明治40年代 |
創業者である経澤豊が焼きちくわの竹芯が燃えてしまうのに着目し、トタンを利用した芯棒を考案。同具を使用した焼ちくわ押出し成形機を共同で特許を取得。気仙沼市魚町一丁目において、経澤鉄工所を創立。 |
●昭和 4年 |
気仙沼大火にて工場消失。同地に工場を新設。漁船用焼玉エンジンの製作にはいる。 |
●昭和13年 |
内燃機器、工作機器等の本体の開発、製作が主業務となる。 |
●昭和16年 |
気仙沼市魚町三丁目に社屋を新設移転。 |
●昭和30年 |
サンマヘッドカッター胴切り付に自動内臓引き抜き装置を付けて開発。 |
●昭和48年 |
経澤幸弘が3代目代表に就任 |
●昭和54年 |
イカ塩辛製造用機械の販売開始。 |
●平成 元年 |
経澤鉄工所を組織変更し潟cネザワを設立する |
●平成 2年 |
機械製造部門法人として潟cネザワ工業、機械販売部門法人として潟tィッシュカッターツネザワ商事を設立 |
●平成 4年 |
気仙沼市岩月に新社屋完成移転。 |
●平成 5年 |
潟cネザワ精密設立。 |
●平成10年 |
北海道余市町に潟cネザワ工業北海道を設立。
潟tィッシュカッターツネザワ商事の北海道営業所を開設。
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●平成17年 |
気仙沼市松崎に第2工場開設。 |
●平成19年 |
潟tィッシュカッターツネザワトレーディング 設立。 |
●平成22年 |
平成22年 創業100周年記念式典を市内ホテルにて盛大に行う |
●平成23年 |
平成23年 東日本大震災にて旧本社・魚町工場が全壊、第2(面瀬)工場も大規模半壊し、大きな打撃を受けるも、本社工場は幸いにも小規模な地震の被害に留まり、以前の機能に回復し、現在に至る |